親に迷惑をかけたくない、学費が心配なあなたへ

松岡 球一(まつおか きゅういち)
54才、妻と娘(7才)と息子(4才)の父。
15年続けたフルコミ生命保険営業をほぼクビ状態で2023/8/7に退社。
翌日8/8よりテレアポの会社→半年後の2/28に突然の解雇。
3/25~ルート営業の会社に正社員として採用され、マイナス生活から開放される。

2020年4月の緊急事態宣言を機に、将来への不安を感じ、どんな環境下でもパソコン一つで出来る仕事を探し始める。

大学や専門学校に行きたいけど、学費が準備できなくて悩んでいませんか?

今や二人に一人が奨学金の給付を受けているといわれていますので、決して「自分だけ」という話しではありません。

これから話す方法であれば、社会人になってからも学費を返済し続けて苦労する必要もありません。

さらには、あるものが身につきます。

目次

二浪したのに受からず

これは私の話しです。

平成2年3月5日、日本経済新聞笹塚専売所に新聞奨学生として働き始める。

というのも、大学受験をするも二浪の末、志望校に受からなかった。

教育に厳しい父親の目から逃れるために、住み込みで働けるところということで新聞屋に決めた。

では、大学はどこかというと、試験がなく、大卒の肩書も得られる、弁護士への憧れあったこともあり、中央大学通信教育部(法学部)に入学。

最後の6年目は論文のみで、何とか卒業。

新聞奨学生として働くことのメリット

奨学金は返済の必要がない

当然のことですが、働いてお金を稼いでいる訳ですから、卒業まで新聞販売店に勤務していれば、奨学金を返済する必要はありません。

しかし、お店を途中で辞めた場合には、残りの奨学金は払わなくてはなりません。

お給料も出ます

何と毎月お給料も出るんです。今の金額は分かりませんが、私の当時で7万円位はありました。

住むところもあります

住み込みの寮のようなところですが、家賃はタダで、光熱費もなく使い放題。

食事も朝・晩出ます。

根性、忍耐力も付きます

今どきの若者に言うのは的外れかもしれませんが、世の中で生きていれば忍耐力は必要ですよね。

社会人になって、会社における人間関係や結婚してからの夫婦関係。

私は、新聞屋で働きながら通信教育で大学を卒業したことを、たまに人に言うと本当に凄いと感心していただきます。それが今、唯一の自信になっています。

親孝行できます

親のスネをかじる必要はありません。親にも喜ばれると思います。

新聞屋の仕事って具体的に、、、

↑実際はちょっと違って、前カゴにタケノコの様に積み上げてそこから新聞を取る感じ

お店の一日の仕事の流れですが、配達地域や各お店の方針異なるところもありますが、大まかに言うと

AM2:50頃新聞到着(笹塚の場合):

各自の配達部数に応じて、折り込み広告を手で入れる。折り込むスピードで出発時間が変わってくる。出発までの準備は約40分(雨や雪だともっとかかる)。

新聞は、できるだけ前カゴに多く入れた方が楽なため、「タケノコ」状に積み上げます。

ポイントは、タケノコの一段目の新聞は、前カゴのサイドに垂直にすき間ができない様にピッタリと付けること。

新聞は、上にドンドン積み上げるので、基礎になる一段目がしっかりしていないと重みで「チューリップ」状に開いて、新聞が崩れるという悲しい結果となる。まあ、これは経験を重ねるしかないです。

配達時間は、各お店の地域と方針にもよりますが、だいたい2時間半くらい。

AM7:00頃に配達終了(笹塚の場合)。配達時には予備紙2部と決めているので、帰った時に部数が合わないと悲しいことが起こる。

というのも、「不着」があると、部屋に戻って寝ている時でも、事務所から呼び出されて届けに行かなくてならないので。

その後、お店の奥さんが作った朝食をいただく。ちなみに、私は笹塚、銀座、立川、小石川と店を移転しましたが、食事のレベルは本当にさまざまで、もうこれは運しかないです。

PM2:50頃夕刊到着。夕刊の場合、折り込みはないので、積んだらすぐに出られる。授業のある学生も、遅くても四時半までには配るようにしていました。

PM5:00過ぎに配達終了。

PM6:00頃から夕食

その他に、配達区域を担当している場合は、毎月の集金(集金専用の人を雇っているお店もある)。月に一回のリーフまき(申し込み用のハガキのポスティング)。

私の場合は、通信教育だったので、授業を理由に休みの希望を出すことはほぼなかった。

よって、店にとってはうまく使える学生ということもあり、休みの人の代わりに配る「代配」と積みきれない新聞を中継地点まで配る「中継」での採用でした。

新聞奨学生として働くことのデメリット

眠い

人が寝ている深夜から働く訳で、体が慣れるまでは眠い。

肉体的にツラい

激しい肉体労働とまでは言いませんが、仕事を覚えるまでは体がしんどいかもしれません。

鬼門となるのが、初めての雨の日の配達。

雨の日はカッパを着たり、新聞をラッピングしたりと、出発までの時間がかかったり、配達中のさまざまなトラブルに見舞われる。

ちなみに、雨の日の配達を機に辞めた子が何人かいました。

私にとって新聞屋はキャンパスライフ

新聞奨学生というと男性のイメージが強いと思いますが、当時、私がいた店は女性を積極的に採用しており約半分は女性でした。

なので、付き合い始める学生も何人かいました(私はご縁がありませんでしたが)。

たまに、食堂に遅く食べに行ったときに、女の子と二人っきりになったときには少しドキドキ。そうそぅ~、修学旅行で夜遅いのに女の子と一緒にいられた気分に似ていました。

私の場合、通信教育だったので、大学にいくのは夏休みのスクーリング以外はほぼなかったので、女の子と接点のある貴重な場でもありました。

余談ですが、当時近所に「マッシュルーム」という飲み屋があって、そこで働いていたバイトの子と付き合うことはできました。そこの常連客に「ピューマ渡久地」(元日本フライ級チャンピオン)が来ていまして、一度だけ店でお会いしました。

私は、帝拳ジムに通ってプロボクサーも目ざしていましたので、鮮明に覚えています。イケメンで格好良かったです!

新聞屋で働くにあたって気をつけること

学業と新聞配達を両立させるための習慣を、早く身につけること

人が寝ている時間に起きて、仕事をしてから学校にいく訳なので、正直、慣れるまで体はキツイです。

良くないケースが、朝刊を配って朝食を食べた後に、寝てしまって、学校に行かなくなること。一度寝ると、また起きて行くのはほぼ不可能です。

どんなに眠くてもとりあえず学校には行くこと(入学当初は、ほとんどの学生が学校で寝ていたそうです)。

しっかりと覚悟を決めてから入店すること

若いし、体が慣れれば必ずやれます。運動音痴で小柄な子でも無事に卒業できました。ただ、中途半端な気持ちでやると学校に通わなくなり、退学することに。まさに本末転倒で残念なことになります。

学校を辞めて、気づけば新聞屋が本業になっていた人もいました。

まとめ

学生の時からお金を稼ぐための原点の仕事が学べる

配達による忍耐力、根性が付く(これからの人生で必ず役に立つ)

自分に自信が持てるようになる(親に迷惑をかけずに、お金の有難みも学べる)

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