在宅ワークを始めて一か月が過ぎました。
改めて思うのが、時は確実に流れていて、運気にも変化があるということ。
これは、人生で日々起きる出来事に対して受け身ではなく、自分の思考に基づいて生きられるようになったことによる気づきでもあります。
いい時があれば悪い時もある。
必ず運がいい時が来る。
こんな気づきが得られたのも、日頃から生き方について学び、それなりの人生経験から来るものなのかもしれません。
50代になって避けては通れないのが「自分の老いと向き合う」ということ。
若い頃の自分に自信があった訳でもありませんが、50代になった自分を鏡で見ると明らかに時間の経過を感じずにはいられません。
髪の毛は薄くなり、白髪も増え、顔のシワも目立ってきました。
周りの目を気にする自分がたまにいたりもします。
50代とは、自分の老いと向き合う年代。
そして、そんな自分を受け入れて、老いた自分と共に生きていく年代のように感じます。
20代の頃の自分から見れば、老いていくことは不幸なことのようにも思えますが、
決してそうではありません。
むしろ20代の頃より確実に、他者を気遣う心があり、人間らしく生きられています。
このブログでは50代でも人生を諦めずに前向きに生きていく人へ、私が経験・感じた生き方をお伝えさせて頂きます。
参考にしても、反面教師ととらえて頂いてもけっこうです。
よろしかったら、ヒマつぶしにお付き合いください。
内面を大切することで他者への思いやりも芽生えてくる

「もう見た目で勝負はできない」
別に容姿に自信があった訳でもない。
でもこれは、ほぼすべての50代が感じている周知の事実。
見た目で通用しなくても、これからも人生は続いていく。
じゃ〜、どうしたらいいのか。
「人となり」で周りの人に自分の存在価値を認めてもらうこと。
見た目が悪くたって、みんなから好かれる、ありがとうと言われる存在になる。
見た目を意識するということは「他人にどう思われるか」を気にすること。
50代の自分を受け入れて心豊かに生きていくには、他人にどう思われるかより、内面でどう在るべきなのかがとても重要です。
内面を大切にし、心の豊かさを追い求めると、それは必然的に他者への思いやりにつながります。
50代の見た目を受け入れて心豊かに生きるための術
容姿に自信があってもなくても、50代になるとほぼすべての人が感じる見た目の変化。
でも、20代の頃より、50代のいまの方がはるかに人間らしい生き方ができているし、心が充実しています。
見た目という武器がなくなった今、いまの見た目を受け入れて、心豊かで寛容な人物として周りから認められるように努めています。
50代で見た目という武器を失ったおかげで、心豊かに生きるための術を身につけられた気がします。
つまり
見た目はいつか衰える
人が必ず死ぬように、容姿や見た目は必ず衰える。
当たり前のことなんだけど、そのことは年老いてみないと分からない。
まぁ、そのことが分かっている若者はおそらくいないし、仕方のないこと。
ムダなものが削ぎ落された



「頭ハゲてるし、白髪多いし、額のシワもすごいけど何かっ~~♪」
私も、男なのでオスとしての部分があるのは完全には否定しませんが、おかげさまで雑念もだいぶ減り、ムダなものが削ぎ落されてきました。
こんな自分を大切にするために、毎朝日記に長所を書き出すことを習慣にしてたら、他人への思いやりも芽生えます。
なぜなら、自分の「承認欲求」を満たすには人とのつながりが大切だから。
人から感謝される・ありがとうと言われることがどんなに幸せなことか。
「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」という自己中心的な考えでは幸せに限界があります。
50代になって見た目へのこだわりを捨てられたおかげで、毎日が本当に充実しています。
最後に残るのは魂だけ
人はどんなに素晴らしい容姿を持って生まれてきたとしても、必ず衰え、死を迎える。
人はなぜ生きるのか。
人の体は年と共に老いて朽ちていく。
最後に残るのは魂だけ。
50代の今、日々魂を磨き、成長させることができつつあります。
50代は人を成長させるための貴重なチャンスの時期だと言えます。
まとめ
50代になったおかげで内面にある多くの気づきが得られています。



「大人になるってどういうこと?」
いま与えられた条件を受け入れて、その条件が変わってもご先祖様の名に恥じないように必死で魂を成長させること。
もうすぐ、お盆なのでお墓参りに行って、いま与えられた幸せな環境に感謝の祈りを捧げようと思います。
50代オヤジにバンザイ!
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