【ゼロからの生活に戻れるチャンス】を頂きました|50代・生き方

松岡 球一(まつおか きゅういち)
54才、妻と娘(7才)と息子(4才)の父。
15年続けたフルコミ生命保険営業をほぼクビ状態で2023/8/7に退社。
翌日8/8よりテレアポの会社→半年後の2/28に突然の解雇。
3/25~ルート営業の会社に正社員として採用され、マイナス生活から開放される。

2020年4月の緊急事態宣言を機に、将来への不安を感じ、どんな環境下でもパソコン一つで出来る仕事を探し始める。

一日24時間の中で、通勤時間や準備も含めると約半分の時間を占める【仕事】

生きていくために必要な【お金】を稼ぐためとはいえ、この多くの時間を要する仕事。

50代になってさまざまな経験をしてきたからこそ、自分が思う理想の仕事に就きたいと思いませんか?

しかし、転職活動してみても実際の所は

・タクシードライバー、配送、警備員などのオファーはあるんだけど、、、

・今までで長く働いてきた経験のある職種からしか反応はない

・50代だというだけで、面接にもたどり着けない

というのが現実です。

私も同じ境遇で、コロナの緊急事態宣言から転職活動を始めるもまったく上手くいきませんでしたが、
今回何とか転職先が見つかりました。

54歳で・日雇いバイト生活・ハローワーク通いのダメダメ男がどのようにして転職先がどのようにして決まったのか、そこに至るまでの心の変化ついてお伝えして行きます。

50代で転職を検討している方、転職活動しているけどうまくいかない方の一助となれば幸いです。

目次

50代でもゼロからの生活に戻れるチャンスを頂きました

2008年7月から始めた生命保険営業(職域:公立学校)では、2009年~2018年までの約十年間は平均年収で750万円くらいは稼げていました。

しかし、2018年頃から学校で新採用の先生からの契約が取れなくなり、そこから一気のリズムを崩すこととなりました。

今思えば、原因として挙げられるのが

・書痙※になってしまった

・毎日決まった学校に行って職員室で先生に声をかけることに飽きてしまった

※人前で文字を書くと緊張して手が震えること。

完全歩合のフルコミッション営業の場合、毎月の給料は契約の積み上げで成り立っているので、一度成績が不振になると元に戻すのは至難の業です。

平均年収750万円でMAX1,000万円まで行きましたが、退職間際は220万円のありさま。

220万円というのは、一年遅れの住民税や毎月の支払いを考えると完全にマイナスの赤字。

二ヶ月に一回は妻から生活費の援助をしてもらい、そのときから「男のプライド」とかいうものは捨てました。

当然、飲みに行くことや趣味・嗜好は一切なし。

とにかく毎月の支払い(住宅ローン、光熱費、携帯代、保険代など)ができるのかいつも心配している状態でした。

二年前からは休日や有給を使って日雇いバイトも始めました。

ついに昨年の2023年8月、15年間続けた生命保険営業を事実上のクビで退職。

転職先を探しても54歳ともなると、同じ営業職かドライバー関係の仕事しかありません。

今までコテコテの飛び込み営業を中心に活動して疲弊しきっていましたので、訪問先を自ら開拓するような営業職の求人は対象外にして求人を探しました。

そこで見つけた転職先が、2023年9月から「Illustratorとテレアポの営業」。

給料は高くなかったが、Illustratorのスキルが習得できるのならと思い決断。

しかし、入社してみてると当初の条件と違うことが沢山ありました。

正社員のはずがアルバイトで社会保険は無し。

勤務時間も違っていて、一時間少ないので日給が少なくなる。

今どきまだこんな会社あるのかという「ブ◯ッ◯企業」

さらにその会社からも2024年2月に突然の解雇。

最初から最後までブ◯ッ◯な会社。

そこから、ハローワーク通いをしながらの日雇いバイトの生活。

そんな日雇いバイトからの帰りの運転中に応募先の企業から電話がありました。

「欠員が出た関係上、来週の月曜日から来てもらえないでしょうか」

無職の期間はわずか一ヶ月弱でしたが、慣れない作業のバイトで毎日カラダが痛い思いをしている時でしたので、とても長く何ヶ月にも感じました。

そんなダメダメ生活から、六年ぶりにゼロからのスタートラインに立つことができることとなりました。

転職先が見つかりました

正直なところ、自分が希望する職種ではないです。

ただ、子どものお迎えなどができるための勤務条件が合致していることもあり、とても感謝でありがたくお受けさせて頂きました。

前職と違い、企業としてのモラルには全く心配のない業界の仕事ですので、その辺はとても安心しております。

条件:ルート営業、勤務時間9~18時(残業なし)、自宅から徒歩7分。

給料は決して高くないですが、ルート営業ですのでそこは納得済み。

社内の雰囲気は50~60代の男性がメインなのでとても落ち着いているとても居心地の良い会社です。

チャンス

子ども

転職するにあたって一番大事なのは子どもなので、子どもの世話がしやすい環境の仕事であるということ。

勤務先は徒歩7分のところなので、朝は8:30に出れば9:00の出社に十分間に合います。

帰りは18:00丁度には退社できますので、夕食作り・子どもの迎えにも間に合います。

ルート営業ということもあり、過度なノルマは一切なし。

社内の人は、社会人経験をしっかりしてきた50・60代の男性がメインなので、常識の通じる方ばかり。

仕事においての心の負担はほぼ無しと言っていいです。

自分の時間(自己研鑽)

通勤時間の心配がなく残業もないので、自分の時間も確保しやすいです。

私が生涯を通じてやって行きたい「文章を通じて人の心を動かす」ためのライティングのスキルを磨くことに全力を注いで行きたいです。

まとめ

この六年間でお金にまつわるたくさんの不安と悩みを抱えていましたが、一応それは解消される予定です。

今回の六年間でお金のことだけでなく、実はそれ以外のことを多く学べた気がします。

心の忍耐・人の痛みを知る

生命保険営業時代はものすごく売れていた訳でもないし、自分が横柄な人間だった訳でもないですが、心の片隅で自分より成績が低い営業マンを下に見ていたかもしれません。

管理職の上司からもヨイショされて調子に乗ってたことがあった気がします。

自分の成績が落ちてきて社内の人から売れない営業マンと一括りにされたことに腹が立ちました。

今思えば、営業マンとしての優秀さと人間性は全くの別なのに、優秀な営業マンばかりを評価してそうでない営業マンを軽く見るという見方を社内のほとんどの人がしていて、自分もそのような見方をしていたことに気づかされました。

営業職メインの会社ではよくある話しで売れてる営業マンの主張は通りやすいが、そうでない場合はあまり相手にされない。

売れない営業マンだからといって冷ややかな対応はしてはいけない、社内での成績と人間性とは別ということを学びました。

ごく当たり前のことなんですが、環境に染まっていたことは否めません。

日雇いバイトでも、勤務先で私がアルバイトだというだけで見下してくるオッサン・オバチャンがいて嫌な思いをよくしました。

「自分がされて嫌なことは人にしない」というごくごく当たり前のことなんですが、人って痛い思いをしないと分からない

今回わたしは、痛みを伴わないと分からない時だったということです

謙虚な心

この六年でお金のことだけでなく、人間関係についてもイヤでツライ思いをたくさんして多くを学びました。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない

このことが分かったのも自分の人生があらゆる面で、落ちるところまで落ちたから。

お金の面でも中途半端に売れた営業マンでい続けていたら、将来に不安を感じることもなくずっとこのまま保険屋で面白くない人生を過ごしたことでしょう。

おかげさまで今は、ライティング、Webマーケティングの勉強を日々して、より長く働くための準備をしています。

私の使命は「文章を通じて人の心を動かすこと」

そのためにパソコン周辺のデジタル領域の勉強もしています。

こんなダメダメで落ちるところまで落ちた私でも正社員として転職することができました。

いいことがあれば単純に嬉しいし、そうでなくても学べることは必ずあるから自分の人生を変えることができる。

今回、神さまから「ゼロからの生活に戻れるチャンス」をいただきました。

あとはどんどんプラスになっていくだけです(^^)

最後までお付き合いいただきましてありがとうございます。

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